【旅ジョグ】京都を旅ジョグ2日間 前編 豊国神社 豊国廟

今回は、〇〇.comのN村さんが遅めの夏休みで帰省されるので

京都で一緒に走りましょう!ってことになりエスコートさせて

頂くことになりました。

当初の予定では、7日のお昼くらいにスタートして色々巡って

伏見の酒蔵近くで一献!てな予定だったのですが、どっちか

知らんけど雨男発動で、予定が変更となりまして・・・。

7日午前中の雨が降らないうちに軽めの旅ジョグを敢行して

翌日に本格的な旅ジョグとなりました。

なんせ、7日だけが雨予報なんですもの・・・。

そんなわけで、近場でそれなりに楽しめそうなところ・・・

と考えて、豊国神社から、豊国廟の太閤秀吉を偲ぶルートを

チョイス致しました。

6:30に軽めの朝食を頂き、7:30過ぎにホテルを

出発。河原町通りを七条まで北上し、七条通を東進。

十数分で到着です。

土曜の朝で人もまばら(てかほとんどいません)

秀吉像と社殿。

ここは軽く参拝だけして、豊国廟を目指します。

途中、通称女坂と呼ばれる某女子中・高・大の通学路を抜けて

行きます。

豊国廟参道と書かれているこの通りが女坂(通称)

土曜日なのに制服のお姉ちゃんたちがぞろぞろ。(画像なし)

ここを山手に走り抜けると、豊国廟入り口に到着。

真っすぐ進みます。

一応有料。100円。ここでおっちゃんと少し会話。

往復30分くらいかかるけど行きます?とか聞かれる。

余裕余裕!と思っていましたが・・・

猿もイノシシも出るらしい・・・。

いよいよ豊国廟への階段が・・・。

ところで、豊国廟とは・・・

ウィキペディアより

豊国廟(ほうこくびょう)は豊臣秀吉の墓所である。現在、京都市東山区阿弥陀ヶ峰の山頂、麓から563段の石段を登ったところに石造五輪塔が建てられている。

豊臣秀吉の死後間も無く作られた豊国廟は、現在の京都市東山区阿弥陀ヶ峰麓の太閤担(たいこうだいら)といわれる広場のところにあった。かつて、この地には豊国廟の他にも秀吉を祀る壮麗な豊国社も建立されていた。しかし、豊国廟と豊国社は、豊臣秀吉の死後に徳川家康によって破壊されてしまい、豊国廟は1880年(明治13年)に修築が行われるまで300年ほど放置されていた。

1875年(明治8年)に豊国神社が再興されたことから豊国廟の整備が行われ始め、1897年(明治30年)には阿弥陀ヶ峰山頂に伊東忠太の設計になる巨大な石造五輪塔が建てられた。翌1898年(明治31年)には豊太閤三百年祭が大々的に挙行されている。

この工事の際、土中から素焼きの壷に入った秀吉の遺骸とおぼしきものが発見されたが、遺骸は丁重に再埋葬された。その西の麓の平坦地、かつての社殿があった太閤坦には秀吉の孫である国松と秀吉の愛妾松の丸殿の供養塔(五輪塔)が寺町の誓願寺から移されて建っている。

後から知った563段の階段。そりゃきついわね。

勾配と段数をイメージして頂ければと・・・

着いた!と思ったら、まだある。

なんとかして凄さを伝えようとするのですが・・・

伝わるかなぁ。

N村氏、休憩中。

最後はイケるとこまでダッシュしましたが・・・

ひぃひぃはぁはぁ状態で到着。

こちらにお眠りになられているようですね。

入り口のおじさんに教えて頂いた、脇に入ったところの

展望スペース。清水さんの舞台を確認できます!

京都市内も一望。奥のこんもりしたところは御所と思われます。

お参りを終えて、

入り口横まで戻ってきました。

ここには、秀吉の孫にあたる豊臣国松と愛妾の松の丸さんが

眠っておられます。しかし国松さんは8歳で殺されちゃった

んですね。そういう時代だから仕方ないとしても、徳川も

酷いことをなさる。

こちらが、松の丸と国松の墓所。

この後は、泉涌寺、東福寺周辺をのんびりJOGりながら、

まだ雨も降っていないので、一旦ホテルに戻ります。

のんびりペースで9キロちょっと。

9:30前に戻って大浴場でさっぱり。

その後は、、、

東福寺駅のすぐ横の『ドラゴンバーガー』で

柚子胡椒バーガーのセットを頂きました。

いやあ、かなりの美味しさでした。

九条ネギ、ベーコン、チーズに、ビーフパティ、一番下には

聖護院大根のスライス。これに柚子胡椒ソースがかかって

もう、さいこうでした!

店内もこんな雰囲気のいい、2階のスペースで食べることが

出来ます。

ここは、リピ確定です。

9キロちょっと走って、風呂浸かって、このハンバーガーを

食べてもギルティフリーですね!

後編の本番ジョグに続く~。

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