【旅ジョグ】奈良~京都へJOGチャレンジ!大仏鉄道の遺構を見つつ京都へ戻れるか?

西国三十三所JOG巡礼からの続きです。

南円堂、千手観音の御朱印を無事頂き、国宝館、東金堂も

見学させて頂き、さあJOGスタートで京都を目指す!

ってなところなのですが、いまいち体調がよろしくない、

気がします。ここのところ、不整脈になる頻度も多め、

両足のふくらはぎは仰木のトレイルの後遺症か、下りで

痛みます。のんびり進むと決めてスタートすることに

しました。

ただ、京都に走って帰るだけでは面白くないので、寄り道

しながらね。

そんなわけで、こんなところから大佛鉄道の遺構を巡りつつ

行けるところまで行ってみましょう。

ウィキペディアより抜粋しました。

大仏線(だいぶつせん)は、かつて関西鉄道の一部であった

加茂 – 大仏 – 奈良間の通称で、大仏鉄道(だいぶつてつどう)

と言われる場合もある。

全国各地で鉄道の敷設が進む中、奈良周辺においては、1890年

12月27日に(初代)大阪鉄道の手で関西本線湊町(現在のJR難波)

– 天王寺 – 奈良間が開業し、その後の1896年4月18日には奈良鉄道

の手で現在の奈良線にあたる京都 – 木津 – 奈良間の路線が開業していた。

一方で関西鉄道は、東海道本線のルートから外れた旧東海道の宿場町を

縫うような路線の建設を目指し、現在の草津線・関西本線草津 – 柘植

– 名古屋間にあたる路線を1895年11月7日に開業させていたが、同社

ではさらに奈良・大阪方面へ路線を延伸し、国有鉄道東海道本線から

乗客を移行させることを目論むようになった。

同社では、とりあえず柘植から西進して大阪へ向かう路線を建設する

ことを目指し、それと同時に加茂から分岐・南進して、大阪鉄道奈良駅

へ乗り入れることを目指すことにした。大阪方面の延伸に関しては、

1897年に現在の片町線にあたる片町(廃駅) – 京橋 – 四条畷間を

開業させていた浪速鉄道を合併し、同社の保有していた路線と接続

させる形で、網島(廃駅) – 四条畷 – 祝園 – 新木津(廃駅) – 加茂間

の路線を1898年に開業させ、名阪間の直通列車を走らせるようになった。

しかしながら奈良方面の延伸については、1890年に開業した

大阪鉄道が既に駅を設置しており、さらに1896年には京都 – 奈良間

を結ぶ奈良鉄道が乗り入れており、運行上錯綜した状態となりつつ

あった。このような事情から、関西鉄道による奈良駅への乗り入れに

当たっては新たに地上施設の拡張を要し、しかも関係3社それぞれが

官公庁への諸認可手続きを申請して認可を得る必要があり、交渉は

長引くこととなった。このため、加茂から奈良へ向けて路線建設を

進めてきた関西鉄道は暫定的に、仮のターミナル駅として大仏駅を

建設することとした。

その後、1899年5月21日に3社協定が成立して関西鉄道の奈良駅

乗り入れが実現し、さらに1900年に大阪鉄道を合併して湊町 – 奈良

– 名古屋間のルートを本線にすると、同社では大仏駅に代わって奈良駅

の方に集客・輸送の重点をおくようになり、大仏駅の乗客は急激に

減少することになった。

そして1905年に奈良鉄道を関西鉄道が合併すると、1907年に旧奈良

鉄道線と並行しており、25パーミル(‰)の急勾配を有していて運転

の障害にもなっていた加茂 – 大仏 – 奈良間の路線を廃止し、加茂 – 木津

間に新線を建設して木津 -奈良間を本線に組み込むことにした。これに

伴い、本線の距離は3.2km伸びたものの、勾配の解消で所要時間を

変更せずに運行可能となり、大仏線は廃止された。

同時に、新木津 – 加茂間も廃止(新木津駅は休止後、のちに廃止)

され、木津へ関西本線・片町線・奈良線の各線が集まるような現在の

形が形成されている。

グーグル先生の黄色い印のところが大佛鉄道の遺構が有るところ。

加茂駅まで行くとかなりの遠回りになるので、赤線のルートで

24号に戻る予定です。

そんな大佛鉄道記念公園にこんな説明書きが残されていました。

わずか9年で廃止になったそうですね。

ならでんアリーナへの上り坂を上りきったあたりに、案内図を

発見します。

10番黒髪山トンネル跡とのことですが、

跡形もありません。

ここにどんな形でトンネルがあったのかわかりませんが

道路の拡張のために取り壊されたとか。

この橋のところがトンネルだったのでしょうかね。

そのまま道なりに進むと下りに差し掛かり、国境食堂なんて

食堂があります。

それを過ぎた交差点の手前に案内図を発見。

鹿川隧道とありますが、どこにもそれらしいものが

見当たりません。

どうやらこの道路の真下にありそうです。

こんな感じで隧道にたどり着きます。

最近こういう不整地路の画像が多いな。

一瞬ここを鉄道がどうやって走ってたの?と勘違いしましたが

この上を走っていたんですよねぇ。ここは用水路的に今も

現役だそうです。

ここで1キロほど道を間違えて進みます。

本当は黄色のラインなのに、赤の方に行っちゃいました。

気付いて折り返したら、1キロちょっと無駄に走っていました。

気を取り直して正しいルートに戻るとほどなくして

京都府入り。奈良→京都の県またぎ。JOGでの県またぎは、

埼玉→千葉。埼玉→東京。京都→滋賀に続いて4県目です。

京都に入ってすぐのところに、バビルの塔(古っ!)みたいな

建物。これ木津川市の水道施設でした。上まで行けるのかな?

鉄道とは関係ないのですが、ここにも説明書きがされていました。

奈良も京都も大佛鉄道推しだったようですが、それほど盛り上がって

いるわけではなさそうですね。

これを過ぎると関西鉄道の社章のモニュメント。

推されていた分(今でも推してるかもですが)案内はちゃんと

有ったりします。

階段降りて右に行くのですね。

おそらく行ったらここを戻ってくるのですね。(きつい・・・)

でも、なかなか機会がなさそうなので頑張りますよ。

フェンスでふさがれているのが残念ですが、レンガの違いは

わかりますね。

色の違いとか、レンガの大きさとか、ちょっと洒落てますよね。

入りたかったっちゃぁ、入りたかったですねぇ。

この後は梅美台という交差点までまっすぐ走って、交差点を右折

します。少し行くと道が細くなりますが交通量は少なく、走って

いても怖くはなかったです。

大佛鉄道の遺構を巡るJOG、今回はこの2つを見て終了です。

赤橋と梶ヶ谷隧道。

大佛鉄道の中で最も代表的な遺構だそうです。

じゃーん!

多分この上を鉄道が走っていたと思われます。

他の隧道でも白っぽい石(御影石かな)との組み合わせになって

いましたね。これ、明治の建造物ですよ。お洒落!

この橋の下を通ります。

ガードレール的なところを走ってたんでしょうねぇ。

で、今回最後の遺構。梶ヶ谷隧道。ここは普通に通れます。

(通ってないけど)

なんで潜り抜けなかったのかと後悔しています。

手前の道が24号線方面だったのでくぐらんかったんだと

思うのですが、この辺りはかなりしんどかったのを覚えて

いるので、写真だけは撮るっておもってたのかなぁ。

ちなみに潜って左に進んでいくとJR加茂駅の方に行くようです。

私は手前の道で24号線方面に。

この道がひたすら真っすぐできつかったのを覚えています。

更にこの辺りから、膝が痛くなり始めます。

いつぞやの京都トレイルでちょっと痛めたところでした。

24号線の看板を発見。

24号線に入ってひたすら北上しますが、

京都35キロの看板見たときは、もう無理って思ってました。

バイクが羨ましい。

国道24号線は、歩行者にはあまり優しくないですよ。

歩道が無くなる箇所が多くて、走りにくい。

こんな斜めになったところを走らされたり。

どっちの車線にも歩道が無かったり。

迂回しつつも結局は24号に戻らないとかなりのロスに

なるので、戻って走るのですが、

全然残りが減らない。この時点ですでに意気消沈。

膝もかなりの痛みになっているので、諦めて電車で帰る事に。

なんとか城陽駅まで頑張って、汗臭い体で電車に乗って、

東福寺駅まで戻ったのでした。

もうちょっと走りやすい道でないと危ないです。

最後の方4.5キロはほぼ歩きでした。

ちょっと足の状態を万全にするまで、控えめにしないと

いけないようですね。

膝というよりも右ひざの外側の太ももにかけての筋らへんと

膝小僧の外側下あたりに痛みが出ます。歩く分には問題なし

ですが、10キロを超えたあたりから痛みが出始める感じですね。

今週末も走ろうかと思っていますが、距離は短くした方が

よさそうです。

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